こんにちは、とつきコーヒーです。
先日、いつものようにコーヒー売り場を歩いていると、ふと隣に並んでいる紅茶や緑茶のコーナーが目に入りました。そこで、なんとも不思議な気づきがあったんです。
「あれ、そういえば私、緑茶を自分で淹れることってしないな」
よく考えてみると、緑茶を飲むときはペットボトルがほとんど。急須も持っていません。でも、コーヒーは毎朝丁寧に淹れているし、自家焙煎まで楽しんでいる。
この違いって、一体何なんでしょうか?
手間を「面倒」と感じるか「楽しみ」と感じるか
確かに、茶葉から淹れたお茶は香り高くて美味しいですよね。でも、なぜか「いろいろ手間がかかるなあ」という気持ちが先に立ってしまいます。
一方でコーヒーは、豆を挽いて、お湯の温度を調整して、丁寧に抽出して…という工程を「楽しい時間」として感じています。同じように手間がかかるのに、この感覚の違いは何なのでしょう。

きっと、その行為に対する「意味づけ」の違いなんですね。
コーヒーを淹れる時間は、私にとって一日の始まりを整える大切な時間。朝の慌ただしさの中で、ふっと心を落ち着ける瞬間です。でも緑茶には、そうした「特別な意味」を見出せていなかったんです。
茶道という「道」から学ぶこと
この気づきから、ふと茶道のことを思い出しました。
茶道の根本精神である「和敬清寂」(わけいせいじゃく)。お互いを敬い、心を清らかにし、静寂な境地を目指す。一期一会の心で、今この瞬間の出会いを大切にする。
単にお茶を飲むのではなく、その行為を通して心を整え、人格を磨いていく。それが「茶道」という「道」なんですね。
実は私、剣道四段を持っているんです。小さい頃からやっていて、今はすっかりご無沙汰ですが…剣道も「人間形成」を目指す道。表面的な動作は全く違いますが、茶道と剣道は「心を整える」「今この瞬間に集中する」という本質的な部分で通じているように思います。
現代版「コーヒー道」のすすめ
そう考えると、私がコーヒーを淹れる時間も、一つの「道」なのかもしれません。
豆を選び、挽き、湯温を調整し、丁寧に抽出する。この一連の流れに集中することで、日常の忙しさから少し離れて、心を落ち着ける。
育児と仕事に追われる毎日で、ついついコスパや効率を重視した行動が多くなりがち。でも、こうした「道」を求める時間も、生活を充実させるために必要なのではないでしょうか。
茶道ほど厳格な作法はなくても、コーヒーを淹れる際に:
- 丁寧な所作を心がける
- 素材(豆)への敬意を持つ
- 一緒に飲む人への思いやりを込める
- 一連の動作に集中する
こうした心持ちを大切にすることで、単なる「飲み物を作る作業」が「心を整える時間」に変わるんですね。
忙しすぎる現代だからこそ
現代は本当に忙しい時代です。特に子育て世代は、常に何かに追われているような感覚があります。
でも、だからこそ立ち止まる時間が必要なのかもしれません。茶道の「一期一会」の精神のように、今この瞬間を大切にする時間。
コーヒーを淹れる時間が、そんな特別な時間になったらどうでしょう。日々のバタバタした時間の中で、ふっと心が落ち着く瞬間。丁寧に一杯を淹れる、大切な時間。
緑茶への新しい向き合い方
この気づきを得てから、緑茶に対する見方も変わりました。
急須を買って、丁寧にお茶を淹れてみる。そこに「道」の心を込めてみる。きっと、ペットボトルでは味わえない豊かさがあるはずです。
コーヒーで感じている楽しさを、お茶でも味わえるかもしれません。
まとめ
なぜ緑茶はペットボトルで、コーヒーは自分で淹れるのか。
それは単純に、コーヒーにたまたま触れる機会があって、緑茶にはまだそれがなかっただけでした。そして、コーヒーに馴染みのない人も、きっと私と同じような感覚を持っているのでしょう。
でも、どんな飲み物でも、そこに「道」の心を込めることで特別な時間にできる。現代の忙しい生活の中でこそ、そんな丁寧な時間の大切さに気づかされました。
あなたも、毎日の飲み物を淹れる時間を、少し特別なものにしてみませんか。それがコーヒーでも、お茶でも、紅茶でも。
丁寧に、心を込めて、今この瞬間を大切にして。
きっと、いつもの一杯が特別な一杯に変わるはずです。
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